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遊びのつもりが命左右/作家-松谷みよ子

 イソップ物語に、子どもにいじめられる池のカエルのお話があります。20年ほど前、いじめで死を選んだ子のことを聞いたときにこの話を思い出し、たまらなくなって詩を書きました。

 <どうか石を投げるのはやめてくれ/君たちには遊びでも/私たちには/命の問題なのだから/わたしはいつも/心の中でさけぶのです/どうかやめて おねがいだから/わたしには いのちの問題なのだから>

 そのころ、若い女性から手紙をもらいました。妹さんのことがつづられていました。妹さんは同級生からいじめを受けて深い心の傷を負い、こんなメモを書いていた。「わたしをいじめた人たちは、もうわたしを忘れてしまったでしょうね」

 涙がこみあげてきました。わたしにもかって周囲の人から自分の生きてきた根っこを否定された経験があったからです。でも、彼らはこのことを案外すぐ忘れてしまっていました。

 わたしの痛みはずっと消えなかった。ずいぶんたってから彼らと話す機会があって、つらい思いをさせたなあ、と分かってもらえたとき、やっと少し救われました。

 いじめている子に何か感じてほしくて「わたしのいもうと」という作品を書きました。転校していじめられ、学校に行けなくなり、ツルを折り続ける女の子。いじめた同級生がおかまいなしに毎日楽しんでいるのに、ひっそりと死んでしまいます。「あそびたかったのに、勉強したかったのに」と書き残して。

 相手がこんなに苦しんでいるというのにどうか気づいてください。そのことが、いじめられている子にとって、少しでも救いになるのです。このページのTOPへ

あやまるのは勇気です/野球解説者-村田兆治

 わたしは全国の子どもたちに野球を教えています。キャッチボールをすると、とても早い球を投げる子もいるし、ゆるやかな球を投げる子もいる。でも速い球を投げる子の方が、良い選手とはかぎりません。
 早くても相手が受けられなくては意味がありません。よい選手は、自分の投げた球を相手が受け止められるかどうか、よく分かっています。

 言葉もいっしょです。自分では、ふざけて言ったつもりでも、相手は傷ついてしまうことがある。力で組み伏せたり、たたいたりすればなおさらです。相手には、遊びとは受け止められません。

 自分の言葉がどんなふうに受け止められているか、相手の様子を注意してほし。そして、これはひどいことをしたのだと気がついたら、すぐ、あやまってほしい。それが勇気です。

 たくさんの子どもたちに接してきて、わたしの育ったころとは、ずいぶん違っているなと感じています。相手の気持ちをあまり考えなくなってきている。それから、あやまらなくなってきているようです。残念です。 
 わたしが子どものころは、いろんな年の子どもが一緒に遊んだので悪いことをすると上級生が間に入って止めてくれた。いまは年が違うと一緒に遊ばない。自分がひどいことをしても、それに気づかせてくれる友だちが少ないのかもしれません。

 だから、自分の力で気づくようになってほしい。自分の意思であやまることができるようになってほしいのです。野球は一人ではできない。仲間のことを理解しあって、力を合わせなければ、けっして勝つことはできません。元気に笑顔で遊べるよう、本当の勇気をもってください。このページのTOPへ

相手の気持ち考えようよ/お笑い芸人-長州小力

友だちをからかったり、ふざけて悪口を言ったりすると、みんなが笑う。言われた本人も笑うことがある。
 君はそれをいじめとは言っていないかもしれませんが、言われた相手は深く傷つくことがあります。自分の態度や言葉がどう伝わっているか、相手の気持ちを考えることは、とても大切です。

 ぼくは笑いの仕事をしています。乱暴な言葉づかいもします。大きな声も出します。悪口のやり取りで、笑いがおきることは、よくあります。

 そういうとき、自分の言葉を相手はどう感じているのか、テレビを見ている人は、どう思っているのか、こうしたことが、いつも心配になります。僕自身、太っているといわれると、いくら笑いがおきても、やっぱり嫌な気持ちになります。

 ぼくが中学生の時、となりの中学で、いじめに苦しんだ男子生徒がいのちを絶ちました。遺書には、いじめた人たちの名前が書き残されていました。その中に、同じ塾に通っていたぼくの友だちの名前もありました。

 あれから彼に会う機会は減りました。ただ彼は、亡くなった子がいじめられている場面にいて、周りでちゃかしたり、笑ったりしたことはあったけども、自分が直接いじめていたとは、考えていなかったと言っていました。でも亡くなった子は、けっしてそう受け止めてはいなかったのです。

 ぼくは、自分が嫌いだと感じるようなことは人にもしたくないと思っています。
あたり前のことと感じるかもしれませんが、もういちど、そのことを考えてみてください。
おたがいの気持ちを分かろうとしなければ、みんなが楽しく笑うことはできません。
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自分を許せぬ時が来る/作家-平野啓一郎

 いじめている人も、家庭の問題などじぶんでどうにもならないトラブルを抱えているのかもしれない。でも、人を傷つける形で解消しても、いずれきっと後悔することになると思う。

 人に嫌なことをすれば、本当は自分も必ず心のどこかで嫌な思いをしているはずだから。いつか必ずそういう自分を許せないと思う時がくる。自分自身をゆるせない、好きになれないということは、一番つらいことだ。

 いじめで追いつめられて自殺する子も不幸だけど、追いつめた子も不幸になる。人生は取リ返せることと、取り返せないことがある。後悔してもすまないことをしてしまった自分と一生つきあうのは苦しいことだ。友だちは人生の中で変わっていくけれど、人生の中で一番長い間つきあっていくのは自分自身なのだから。

 ぼくの子どものころ、いじめの芽はあったが、度を越す前にブレーキをかける雰囲気がクラスにあった。正義を実現するとか、そういう立派な自分を目指すのは大変なこと。でも、いじめているのは「イタい」という感覚をクラスの中につくっていくことは、だれでもできる。普段の会話の中で「集団で一人ウップンばらしをするのはやばいよね」と語ってみよう。

 自分がいついじめられるかわからない、いじめられる側に立てばいじめられない、という思いもあるかもしれない。一人で孤立するのが怖ければ、3、4人でいじめが嫌いだという態度をとろう。クラス全員が友だちじゃなくても、5、6人いれば事足りる。ほかのクラスにも友だちをつくろう。それから異性の目も考えてみよう。彼氏がいじめっ子で喜ぶ女の子はいないはずです。このページのTOPへ

想像できるでしょう。/タレント-ソニンさん

 いまいじめている君は、だれかにいじめられたことはありますか?
私は小学校から高校まで、いろいろないじめにあいました。ずっと在日コリアン向けの民族学校に通っていたのですが、小学生の時は、寮の先輩からなぐられたり、寮のそばにある山でふとんをしいて寝かされたりしました。高校では、クラスメイトから無視されたこともあります。

 でも私は、進んでいじめに加わったことは一度もないつもりです。それは、いじめられる側のつらさをよくわかっていたからです。「私と同じ思いをさせてはいけない」と考えました。中学生のときに、こんな子がいました。小学生のときから同級生をいじめ続け、中学に入ったら、今度はみんなから無視されるようになったのです。その子は反省して、いじめをやめました。

 一度は、いじめられたことがあれば、人をいじめようとは思わなくなるはずです。いじめられたことがなくても、いじめられる立場に立ってみることはできます。想像してみることは、できるでしょう。

 でも、いじめている君も、いじめられている子と同じくらい、つらいのではないでしょうか。君をいじめに向かわせる「何か」があり、それが何なのか、君自身にもわからないのかもしれないと思うのです。

 その心のうちを、だれか近くの大人に打ち明けてほしい。もう、誰かをいじめなくてすむようになるかもしれない。
 いじめている子も、いじめられている子も、両方とも苦しい。そんな苦しさを抱える子どもたちに、大人たちも、勇気をもって立ち向かわないといけないと思う。このページのTOPへ

大切なものを失う前に/タレント−乙葉

 誰かをいじめたことがありますか?私は以前ならこう聞かれても、自信をもって「ない」と答えることができました。最近はちがいます。いじめにかかわるさまざまな事件が報道されるにつれ、もっとよく考えなければいけないと思うようになったからです。

 自分の行動や言葉に対して、注意しすぎるということはありません。友だちを傷つけていないかどうか、もう一度考え直してみてください。
 人を傷つけるような言葉を口にする人は大人の社会にもいます。わたしの周りにもいます。
その人は、まったく悪気がなくて、自分の言葉のきつさに気がついていないようです。たぶん、子どものころからそうだったのでしょう。何人もの人が、その人を嫌いになっていったのだろうと思います。とてもさびしい人生だと思います。早く自分でそのことに気づいていたら、もっと友だちは多かったはずです。

 みなさんには、まだ時間があります。感覚も、大人より、ずっと敏感だと思います。だから今のうちに、周りの人たちの気持ちに気を配るようになってください。

 ともだちや家族はかけがえのないものです。私は家族を亡くすことも、仲のよい友だちを亡くすことも経験しています。亡くしてから、色々なことを思い返すと、後悔することばかりです。

 助けてもらったときに、もっと感謝の気持ちを口に出していたら。あのとき、もっと違う言い方ができていたら。そんなことを、よく考えます。友だちや家族の一人でが自分にとって、どれだけ大切な存在だったのか。一緒にいるときは、なかなか気づきにくいものです。このページのTOPへ

見ているだけから一歩を/スポーツジャーナリスト-増田明美

 いじめられている人を見たら、勇気を持って助けてあげてください。いじめられている人が一番悲しいのは、自分を助けずに、ただ見ている人の眼です。その眼は、いじめている人の心の中いっぱいに広がり、深い悲しみの川の中へ沈めてしまうのです。

 私は小4のこと、背が低くてぽっちゃりしていました。ある日、先生から作文をほめられ、気をよくしていると、突然クラスの男の子から「ちびデブ」という大きな声が。心につきささり、はずかしくて泣いてしまいました。しーんと静まり返った教室に、小さな笑い声が起こり、心が凍りつきました。それは、ののしる声以上につらかった。その時、同級生の女の子が「おおデブ!」とクラス中に響き渡る声とともに、その男の子をにらみました。特に親友と言うわけでもない女の子の一言はすごくうれしかった。心の中にやわらかな日ざしがさしたような気持ちになりました。

 その男の子はそれから、その子のことも、ののしるようになりました。でも彼女はぜんぜん気にしない。そんな彼女を見て私は強くなれたような気がします。あの一言がなければ、私は悲しい静かな空気の中でおぼれていたと思います。

 もしも川を流されている人に気づいたらあなたはどうしますか。助けに行くと自分もおぼれてしまう。飛び込むことができなくても、周りの人に聞こえるように大きな声で助けを求めたり、「大丈夫」と声をかけながら川岸を走ったりすることはできるはずです。

 いじめている人をみたら、もしも自分だったらと、想像してみてください。そして自分ができる方法で助けてあげてください。このページのTOPへ

勇気のふたあけよう/演出家−宮本亜門

 人はみんな、自分の中にいろんな感情を抱えて生きています。優しさ、冷たさ、強さ、弱さ。僕の中にも、良い部分と悪い部分とがいりまじっています。様々な気持ちのバランスがうまくいっていないとき、人はひどいことをしています。

 小学校の5年か6年のときです。雨の日に、5人の仲の良い友だちと歩いていたら、大きなトノサマガエルが道の真ん中にいました。

 一人が傘でつついていたら、ひっくり返ってしまいました。もう一人が足で軽くけってみると、体をふくらませました。「おもしろいな」。次の子は少し強くけった。トノサマガエルはボールのように大きくふくらんだ。友だちは次々にカエルをけったり、ころがしたり。最後には、僕もけりました。

 本当は嫌だったんです。生き物をけりたくなかった。でも、みんなに「やめよう」とは言えないし、「自分はやらない」とも言えなかった。嫌だな、という気持ちにふたして、笑いながら一緒にけった。あのときの嫌な気持ちは、今も消えていません。

 ひどいことをしているとき、心から楽しいと思っている人はいません。君が、だれかをいじめているとしたら、どこかで、そんな自分を嫌だなと思っていることでしょう。その気持ちにふたをして毎日をすごしているのだろうと思います。

 君には、勇気をもって、そのふたをあけてほしい。ひどいことをするのは嫌だと感じている君は、とてもかっこいいと思います。君の中にいる、そういう自分を大事にして、とても力のいることだけれど、いじめをやめる努力をしてみてください。君には後悔してほしくないからです。   このページのTOPへ

友達傷つけず、世界広げて/作曲家-千住明さん

 この文章を読もうとしている君は、本当の「いじめっこ」ではありません。だれかをいじめ続けても何も感じない本当の「いじめっこ」は、とても鈍感(どんかん)で、これを読んだり、あらためていじめのことを考えたりなど、するはずがありません。

 実は、いじめる側に立つ人たちのほとんどは、君のような人たちです。いじめで、友達が深く傷つくことに気がついているけれど、鈍感なふりをして生きている人たちです。

ぼく自身も、中学のとき、いじめる側にいたことがあります。だれをいじめるかをリーダー格の仲間が決め、無視をする。持ち物をかくす。やめれば、こんどは自分がいじめられますから、リーダーの機嫌(きげん)をとって、やめようと言えませんでした。

 いじめられたのは個性のある人たちばかりです。静かであっても、どこか秘めたパワーを感じさせる人もいました。もし友達になれていたら、その交流を通じて、自分が知らない、別の世界にふれていたでしょう。

 いまは立派な仕事をして、それぞれの分野で輝いている人がたくさんいます。でもクラス会で会っても、ぼくは話しかける勇気がありません。いじめられた経験もあるので、よく知っているんです。いじめられた側は、いじめた側を、よく観察(かんさつ)していて、けっして忘れないということを。

 いじめる側といじめられる側の真ん中あたりにいる君たちには、大きな可能性があります。もし君たちのうちの何人かが強い気持ちを持つことができれば、いじめを食い止める大きな力になれる。
そうして得られた友達は、きっと君の世界をもっと大きく広げてくれるはずです。このページのTOPへ

その安心感は自由を奪う/精神科医-斎藤環さん
いま、だれかをいじめている君に伝えたいことがあります。
君は、ひょっとすると、家でつらい思いをしたり、以前に自分自身がいじめられたりして、嫌な経験をしたことがないだろうか。
そのはけ口として自分より弱い相手や、すでにいじめられている友達に対していじめたいという気持ちになっていないだろうか。
私は、仕事で、そういう例をたくさん知っています。
君のような気持ちは、実は、特別なものではありません。その証拠に、いじめは大人たちの世界でもよくあることなのです。
だれかをいじめると、ときには気分がよくなってしまうことがあります。進んでだれかをいじめなくても、いじめる側にいると、自分が安心できる面もあります。
でも、人をいじめることで得られる安心感は、たしかなものではありません。それをやめると、今度は自分が、いじめられるかもしれないという怖さがあります。実際はひどく不自由な気持ちで暮らすことになります。それは、大人の世界もまったく変わりません。
だけど、君には、ここで立ち止まって考えてほしい。大人になっても、だれかを傷つけるような人になりたいかどうか。いじめを続けることで、失われるものがたしかにあります。自分自身が大切で、かけがえのない人間であるという自覚が、いちばんに損なわれます。
もし、それが大事だという感覚を失わずに、本当に自由な気持ちでいたいのであれば、どこかではっきりと気持ちを切り替えて、いじめをやめる勇気を持つことが絶対に必要です。
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大人のまねはしないで/ジャーナリスト-むのたけじさん
私は最近の小、中学生のみなさんと話し合ってみて、みなさんに共通する特徴(とくちょう)があることに気がつきました。
話す相手の年齢(ねんれい)や社会的地位、お金もちか貧乏かなどに関係なく、対等の立場で向き合う。考え方がしっかりしていて、不確かなものはあてにしない。友達を大切にする。相手の気持ちを思いやる。もちろん友達の命の尊さを知っています。
そんなすてきな素質(そしつ)をそなえたみなさんの姿を知ったとき、これは今までの日本人の歴史の中で、最高にすばらしい世代だとわかりました。
今の大人たちを見ると、そうは思えないかもしれませんが、むかし、みなさんと同じ長所をもっていたときがありました。戦争に負けてから15年間ほどの時期です。
古い考え方が通用しなくなって、みんなが一人の人間として向き合った。日本は負けるはずがないという思いこみがはずれたので、現実をしっかり見ようとした。生き残ったものどうし、みんなの命を大切にした。
でも、大人たちは変わった。あのころの思いを忘れた。相手の年齢や地位で態度(たいど)を変えるいまの大人は、みなさんにとって、つめたい氷のように見えるでしょう。
みなさんのまわりに、いじめがあるなら、それはみなさんが悪いのではない。あのすばらしい素質をすててしまった大人の責任(せきにん)です。友達を大切にするみなさんがつらい気持ちになったとき、安心して相談できる相手になれるよう、大人が気持ちをいれかえなければいけません。
大人たちがどうあろうと、みなさんは、自分たちのよいところをつらぬいてください。それが大人たちを変える力になっていくでしょう。
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昔の「ガキ大将」になって/俳優-高見のっぽさん
君が一人で、一人の友だちと向き合うとき、その友だちを「好きだ」とか「嫌いだ」とか言うのは自由です。気が合わなかったら、けんかしたってよいと思います。でも、その一人に対して、君が大勢と一緒になって向き合っているときは、ぜったいに「嫌いだ」と言ってはいけません。それは、ひきょうです。
いじめがいけないのは、大勢で一人の友だちを傷つける、ひきょうなことだからです。
私が子どものころは、「ガキ大将」と呼ばれる子どもが、どの町にもいました。みんな、とても強い子どもでした。でも、いじめをするのとは、まるで違います。
ガキ大将は、けっして大勢で一人をたたいたり、悪口を言ったりしませんでした。もし、そんなことをしたら、まわりの「手下(てした)」に信用されなくなりました。
みんな、ひきょうなことが、大嫌いだったからです。ガキ大将は、友だちにたいする優しさを、どこかに持っていました。
それが、いまはちがってしまっているようですね。でも、それは君だけの問題ではないのです。いまは大人も子どもも、そんな気持ちをなくしたようです。
お金もうけのためには、何をしてもよいと考えている人たちがいます。でも、世の中には、お金もうけがへたな人たちもいるということを考えていれば、自分はどんなにもうけたかを大声で自慢(じまん)しないはずです。それが、もともと人間のもっている優しさというものなのですがね。
私は、君がひきょうなまま大人になってほしくありません。もし君が強い人なら、私が思うような、むかしのガキ大将になってくれませんか。
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